10年前、朝から出かけていた私は、神戸出身の友人から「関西のほうで、ひどい地震があったらしいよ」と言われ、一報を知ったのですが、その友人もその時点では、被害の深刻さを知らず、私たちは予定の行動をすませ、昼すぎ帰宅しました。テレビをつけてみて、被害の大きさにびっくり、学生時代をすごしたあの神戸の街が、三宮の駅が、馴染みの阪神高速道路が、無残な姿に、安否確認の電話とテレビ画面に釘付けで夜を迎えました。特に、父の親友で学生時代の親代わりをしていただいた、一家(老夫婦)は、六甲の自宅が倒壊したものの、幸いに、怪我はなく、西宮の娘宅へ避難されたのですが、いつもは三十分で行けるところなのに、深夜に着いたそうです。私は、すぐに駆けつけることはできませんでしたが、一ヵ月後、両親とお弁当を持って会いに行きました。私の住んでいた家も半壊、あちこち青いビニールシートがかけられた東灘、芦屋のまちをなんともいえぬ思いで眺めていました。あれから10年、再会を喜び合った、父もおじ様も今は天国です。
その阪神淡路大震災から10年が経ち、防災に対する意識が薄れかけたこの時期に、新潟中越地震に見舞われ、まさに備えが重要なことを痛感します。
そこで、1月22日の都政報告集会では、中越地震で、学生ボランテイアとして活動してきた外木さんの報告をお願いしました。あわせて、都の防災対策や、国分寺市、国立市の防災対策を点検します。また、防災には体力もつけなければなりません。体操、手作りの美味しいケーキとお茶も用意します。(参加費500円)
是非参加してください。